読書という体験②

かねこカウンセリングオフィスの金子です。

前回に引き続き、「読書」について書きたいと思います。突然ですが、私の自宅のトイレには簡単な本棚がありまして、そこに自分のお気に入りの本たちを置いてあります。それらの本をペラペラめくるのが習慣でして、何度も読んでいる本でも「そうだった、そうだった」、「なるほど」と感心することがあります。

これまでも何度も書かせて頂きましたが、私の仕事は言葉のやり取りで成り立っていると言えます(もちろん、言葉だけでなく、雰囲気やジェスチャー、息遣いや視線なども大切ですが・・・)。

それゆえに、言葉に関しては敏感でありたいと思っていますし、言葉の使い方や伝え方には十分すぎるほど、注意を払います。言葉に対して、以下の二人はこう、述べています。

「言葉を信じないということをさんざんにやってきた結果、言葉を上手に使うということを、しないのでなく、できなくなってしまっているのではないか。少しの語彙しか持たなくなってきて、かわいい、むかつく、すげえ、うざい、といったように、僅かな言葉だけで精一杯自分を表し、伝えるという風になっています。」

(「なつかしい時間」、長田弘、岩波新書)

「言葉の不完全性によって、私がどのように言葉を磨いても、クライエントに完全に届く言葉にはならない。だから実際の日々の臨床では、ひたすらクライエントに寄り添う言葉を見つけることが正しいのである。」

(「心理療法の形と意味―見立てと面接のすすめ方ー」、溝口純二、金剛出版)

SNSやラインといったツールが流行り、多くの人が利用しています。このようなツールについて、賛否両論はありますが、大切なのは「使い方」だと思います。

ふだん、あまり意識しないかも知れない「言葉」ですが、時に美しい「言葉」や気になる「言葉」を調べてみたり、使ってみたりすることで、新たな発見があるかも知れません。