本の紹介 33

かねこカウンセリングオフィスの金子です。

「セラピスト」、最相葉月、新潮社、2014.

久しぶりの、本の紹介です。出版されてから10年も経つんですね・・・これまでにご紹介したつもりでした~~
何度かこのブログでも登場する、風景構成法と言う絵画療法の創作者の中井久夫先生とのやりとりの逐語録が載っている非常に興味深い本だと思います。
また、中井先生自身が描かれた風景構成法やバウムテスト、色彩分割、なぐり書きなども掲載されています。心理臨床に携わる方々には是非、必読をお勧めします。

恒例の私なりに気になった点を引用しますー

P270  (作者の最相葉月さんと、中井先生とのやり取りより)
「言語は因果関係からなかなか抜けないのですね。因果関係をつくってしまうのはフィクションであり、治療を誤らせ、停滞させる、膠着させると考えられても当然だと思います。河合隼雄先生と交わした会話で、いい治療的会話の中に、脱因果的思考という条件を挙げたら多いに賛成していただけた。つまり因果論を表に出すなと言うことです」

P289  聞き手はノンフィクション作家の井田真木子。現在代の死をテーマにしたインタビューに答えて語ったものより(「幸せな死のために」より引用)。
「ユングにしろ、フロントにしろ、彼らは自分の心の探求を徹底させて理論を作ったわけです。でも、それはたとえば、ニュートンの力学の法則とは違うわけです。ニュートンが作った力学の法則はどんな物体にも適用できる。ところが、ユングが作った法則は適用してはいけないんです。適用不能なものなんですね。そやけど、何にも役に立たないかというと、そんなことなくて、あなたが自分の心を考え始めた時、ユングの理論はあなたにとってものすごく有用な時があるんです。それは、しかし、あなたにとってですね。すべての人にとってではないです。
ユングの理論をあなたに適応するとか、フロイトの理論をあなたに適用すると言うのは間違ってるというのが僕の考え方なんです。
でも、それをやるサイコロジストがすごく多い。それでみんな迷惑するわけ」

P314
回復に至る道とはどんな道か。たんに症状をなくせばいいというのではない。かといって、ありのままでいいということでもない。クライエントとセラピストが共にいて、同じ時間を過ごしながら手探りで光を探す。心の底にひそんでいた自分でさえ気づかない苦悩、悲哀にそっと手を差し伸べる。一人では恐ろしい深く暗い洞窟でも、二人なら歩いて行ける。同行二人と言う言葉が浮かんだ。

↑最後の引用部分の前半は、日々臨床をしていて、つくづく感じるところです。
手探りでやっていくしかないと思います。

今回、改めて「セラピスト」を再読する中で、風景構成法はもちろん、箱庭療法といったものが多く出てきました。そのことに刺激されてか、愛媛の精神科時代が思い出されました。

当時私は、単科の精神病院に基本は勤務しつつ、先輩の臨床心理士と精神科医とで、思春期外来の立ち上げと臨床にも携わっていました。
そこには、精神科の受診とまではいかないも、思春期特有の悩みや、疾患、そして不登校等といった状態のお子さんが多く来ていました。
今回、この本を読んでふと思い出したのが、私の臨床経験で唯一ですが、毎回のセラピーで、折り紙を黙々と2人で折ることで、改善した男の子のケースがありました。症状や詳細は割愛しますが、今でもはっきりと覚えています(15年以上も前の話ですが)。

カウンセリングの初期の段階で風景構成法を行ってもらい、そこからどのような流れかを忘れてしまいましたが、その子の提案で折り紙をしたい言うことで、一緒に折っていたと記憶しています。
本当に不思議な体験で、時間になると、カウンセリング室に呼び、軽い挨拶と前回のカウンセリングからの様子を伺うと、どちらかがという訳でもなく、「さて、折りますか・・・」といった雰囲気の中、カウンセリングの残りの40分弱、ほぼ会話せずに様々な折り紙を折りました。
なぜそのようなことになったか、もう忘れてしまっていますが、なぜだか私にとっても心地よく、その子にとっても毎回遅刻や休むことなく継続して来るので、特に本人にも、折り紙を折る理由等を聞かず、毎回、黙々と折り紙を折っていましたが、内心、「折り紙、ずっと折ってるだけだけだけど、いいのかな・・・」という心配もありました。
が、主治医の先生に相談すると、「本人がそれがやりたいのであれば、付き合ってあげたら」とも言われたのもあり、付き合っていました。そうしているうちに、その子の抱えていた悩みが少なくなってきて、回復したといった次第です。この点は本当に重なりますが、今でも不思議な体験です。折り紙を折ることで、症状の改善につながるとは私は思っていません。
そこは前述の因果関係でもなく、ユングだ、フロイトだという理論の話でもないと思うのです。抽象的かつ非科学的に聞こえるかも知れませんが、安心した空間の中、共に時間を共有するといった体験がその子にとって、治療的に働いたものと勝手に思っています。

現在の私の臨床では、箱庭療法は用いる事はありません。(たまにクライエントさんの希望で風景構成法をやることはありますが)けれども、愛媛の精神科時代はよくやっていました。箱庭をクライエントさんとやっている間に流れる、雰囲気や感覚を思い出すことができました。

現在に臨床においては、つい効率性や、解決に向けて、目を向けすぎてしまう面もあるなぁと実感した次第です。もちろん、良くなってなんぼ、の面は大切ではありますが・・・。
つらつらとダラダラとまとまりに欠く文章で恐縮ですが、ここまで読んでいただきありがとうございます。久しぶりに、過去読んだ本をもう一度読み返してみると、また新たな発見や出会いがあるかもしれません。今後も本の紹介をしていきたいと思います。どうぞお付き合いください。
では失礼します。