この世に「絶対」というものはない??

かねこカウンセリングオフィスの金子です。

カウンセリングという仕事をしていると、様々な悩みや不安、怒りや悲しみ、思考、思い込みなどといったものをクライエントさんと共に検討、共有します。そして、少しの変化を集めながら、解決や不安の解消に努めていくのが私の仕事です。

その際に、私は「絶対」、「いつも」、「みんな」、「何もしてない」、「誰も~~ない」といった言葉に敏感です(一種の職業病かも知れません)。なぜなら、そのような言葉は一種の思い込みである可能性が高く、例外があることが多いからです。また人間が生きていくうえで、正論や絶対的に正しいことは時に人を傷つけるものでしょう(もちろん触法行為や犯罪となると話は別ですが・・・)。矛盾や不合理なことが起きることも生きていれば大なり小なり起こるものです。それらをひっくるめて生きているのだと私は思います。

そのような思いはずいぶん前から抱いていることなのですが、最近ふと、久しぶりに手に取った本で考えさせられ、興味深い内容と出会ったので(やや長いですが)ご紹介します。

 

大崎善生 「傘の自由化は可能か」 角川文庫、2009.

矛盾だらけの地球儀

日本の自殺者は年間三万人で、交通事故死亡者の約三倍にのぼるという。それを失業者が増えてしまった結果による経済政策のせいにする評論家や政治家たちも多いが、それは見当違いと思う。自殺者の比率が高いのは、圧倒的に先進国で、失業率も低く社会福祉が充実していることでも有名なスウェーデンは世界でも有数の自殺比率の高い国として知られている。数年前にストックホルムに行ったとき現地の友人がそのことを教えてくれて、そのわけを推測してみろと問われた。

「日照時間が少ないから」と私が答えると、「それが原因の約半分」と言われた。それから残り半分を当てずっぽうに言ってみたが、ついに言い当てることはできなかった。

 私がギブアップすると友人はこう言った。「福祉が充実しすぎていて将来の不安がないからなんだ」と。

 彼が言うには人間は将来や老後のために多少苦しくても一生懸命働いて蓄えを作ろうと努力する。しかし、この国ではその必要がない。充実した福祉は人間が生きていく上での大きな目的のひとつをうばってしまっているというのだ。おまけに、これも社会制度や福祉と大きくかかわっているらしいが、彼の国では企業であれ公務員であれ、二十四歳の新米と五十歳のベテランの賃金がほとんどといっていいほど変わらないらしい。つまり初任給が三十年後にもらう給料とほとんど同額なのだという。

 将来が不安だから苦しくても頑張る。しかし、将来の不安がなくなったら、いくら頑張っても苦しみだけが残る、要するにそういう図式が世界有数の福祉国家の悩みなのだそうだ。世界は空と海と大地で形成されている。そこに矛盾とわからないことを足せば、きっと現在の地球儀ができあがるのだろう。(下線、筆者)

 

まず、この大崎善生という作者は過去の記事(過去のブログ)でも挙げさせて頂きましたが、私の好きな作家の一人です。この「傘の自由化は可能か」という本はエッセイ集なので、著者の個人的な考えや思索であるので、上記の文章も個人的な意見かと思います。(ちなみに、この「傘の自由化は可能か」ということに関しては、当オフィスがある埼玉県戸田市が出てきます。すごい偶然!)

私は世界情勢や世界の自殺率といったものに関して今まで、きちんと調べることや学ぶことがなく、お恥ずかしい限りですが、この文章をきっかけにいくつかネットや資料を調べてみると、スウェーデンの自殺率よりも日本の自殺率の方が高いことがわかりました。

(参考サイト:https://www.globalnote.jp/post-10209.html

そして、そもそも、自殺率の定義とは??その数字を出すことの意味は??と一人、夜中に悶々と考えてしまいました。結局これといった考えは出てこないも、今回の文章から、考え続けていくことが大切なのでは・・・という思いに駆られました。そしてそこには、既述の『正論や絶対的に正しいことは時に人を傷つけ、生きていると矛盾や不合理なことが起きること』について、臨床家としてはもちろん、一人の人間として考え続けていきたいと思います。

では、今回もお読み頂き、ありがとうございました。