すべてが原因であり結果でもある

かねこカウンセリングオフィスの金子です。

先日紹介した朝井リョウさんの「どうしても生きてる」を読み終え、まとめも終えたので、特に印象に残った言葉をここで紹介します。

「どうしても生きてる」 朝井リョウ 幻冬舎 2019

P34

○○だから××、という健やかな理論は、その健やかさを保ったまま、やがて鮮やかに反転する。

「満たされていないから他人を攻撃する」「こんな漫画を読んでいたから人を殺した」はやがて、「満たされている自分は、他人を攻撃しない側の人間だ」「あんな漫画を読んでいない自分は、罪を犯さない側の人間だ」に反転する。おかしいのはあの人で、正しいのは自分。私たちはいつだって、そんな分析を横たえたい。健やかな論理に則って、安心したいし納得したい。だけどそれは、自分と他者を分け隔てる高く厚い壁を生み出す、一つ目の煉瓦にもなり得る。

再配達を頼んだのだから、自殺なんてしない。

離婚を申し込まれたのだから、かわいそう。

新しい恋人ができたら、もう大丈夫。

満たされていないから、クレームを言う。

暴力描写のある漫画を好んでいたから、人を殺す。

そんな方程式に、安住してはならない。

自分と他者に、幸福と不幸に、生と死に、明確な境目などない。

P95

なぜ別れたのか、なぜ別れないのか、そんな風に訊かれたって、その二人にしか通じない、その二人でさえなんとなくしかわからないような温度の言葉でしか表せない関係性があることを。そして、その二人でしか頷き合えない、周囲からもっと具体的な説明を求められるような言葉で説明されているからこそ、それが真実に限りなく近い表現なのだろうということも。

 

これらの言葉はカウンセリング(主に家族療法的な考え方)にも通じる面もあるかと思います。そして、この「どうしても生きてる」を読み終わって、ある本をもう一度読みたくなりました。それはこのブログでも何度も紹介している、東先生の「家族療法の秘訣」です。

 

「家族療法の秘訣」 東豊 日本評論社 2010

P24

「家族はかくあるべき」「父親はかくあるべき」「母親は、夫婦は、子どもというものは、子育てというものは・・・」等々の思い込みは、私生活においてならともかく、セラピストとしての役割を担う時は一切合切捨てておくべきである。もちろん完全達成は理想論であるが、そのような意識を持ち続けることが、家族療法が上達できるための基本中の基本のようである。

P57

家族の中には加害者も被害者もいない。原因も結果もない。あるいはすべてが加害者であり被害者であり、すべてが原因であり結果でもあるのだ。家族療法家は、直接的な因果律による意味付けを回避し、家族をひとつのシステムとして、円環的因果律で理解しようとする。そして、家族のシステムとしての変化が、個々人の立ち振る舞いの変化につながると考える。

 

白か黒、0か100、悪か正義、正か誤・・・先の「どうしても生きてる」からの引用にもあった「自分と他者に、幸福と不幸に、生と死に、明確な境目などない」・・・確かにそう思います。人の心はあいまいで不確か。それゆえに、時に、つらく、難しい。一方で、時に、興味深く、奥深い。そんなことを考えさせられた、朝井リョウさんの作品でした。

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