本の紹介 34
かねこカウンセリングオフィスの金子です。
「開業医の正体」、松永正訓、中公新書ラクレ、2023.
久しぶりの、本の紹介です。ふらっと立ち寄った本屋さんで出会いました・・・笑。ふと手に取り立ち読みしたらなかなか面白そうだったので、購入しました。読んでみたら面白かった!!こういう本との出会いが最高ですねぇ~~(^-^)
また、恒例の引用をご紹介させて頂ければと思います。(他にも気になる点はありましたが、今回は看護学校で生徒さんたちに紹介させて頂いたものです)。やや長いですが、以下、引用します。
P195
良い看護師とはどういう人を言うのだろうか。これはなかなか難しい。
僕は医師としてだけでなく、何度も入院経験があるので、患者として看護師をずいぶん見てきた。読者の皆さんも、入院したときに、患者のそばにいてくれるのは、医者ではなく看護師だと知っているだろう。
入院患者っていうのはけっこう孤独で、手術を控えていたらひたすら病室でその時を待っているとか、術後の床上安静でひたすらベッドに横になっているとか、行動を制限されてつらい時間を過ごしていることが多い。そんなときに、看護師がバイタルチェック(血圧や脈拍の測定)に来てくれると、実に心が休まる。
では、満面の笑顔を振りまき、明るさ一杯ではあるが、点滴を入れるのが上手ではない看護師と、無愛想で事務的な言動しかとらないが、点滴を1回で入れてくれる看護師とでは、患者にとってどちらがいい看護師であろうか。
ぼくは断然、満面笑顔の看護師の方が良い。患者の前で満面の笑顔を作れるのは、その看護師が患者に対して思いやりがあるからだ。もちろん、地の部分が表に出るのだから、その笑顔は作ったものではないと思う。だけど、365日明るい顔をしているのは、それはそれで努力が必要だろう。
看護師の「看」という字は「手」と「目」でできている。手で触れて、よく見て、初めて看護ができるわけだ。でもぼくは触れることも、見ることもしてもらえなかった看護師に出会ったことがある。
(中略)
手技が下手でも笑顔の看護師。点滴が上手だけど事務的な看護師。ぼくは二つの極端な例を挙げたが、看護師経験38年のぼくの妻に尋ねたところ、そう言う問いの立て方自体が間違いだと言われた。
妻が看護師になって1年目、20歳の時に、彼女はターミナル病棟に配属された。そこで彼女は今でも忘れられない患者に出会った。
その患者は29歳の女性。末期の胃がんであった。生後2ヶ月の赤ちゃんがいると言う。個室のその患者は南向きの窓に向かって横になっていた。看護師が入室しても医師が入室しても、背を向けたままで決して振り返らなかった。妻はその患者のケアを続けたが、一度も顔を見たことがなく、声を聞いたことも一度もなかった。
(中略)
なぜ、この患者は誰とも喋ろうとしなかったのか。それは生に絶望していたからだろう。幼な子持って。その子の行く末も心配し悩んだであろう。この世の不条理を感じて自暴自棄になっていたのかもしれない。
彼女は言う。
「では、そんな時に、満面の笑顔で、明るさ一杯で、その患者さんの個室へ『おはようございーます』とか言って入っていける?あの人はそういう『生』が眩しくて苦痛だったと思う」
確かにそうだろう。妻は看護師となって1年目にその患者に出会って、一言も会話を交わさなかったのが何かを学んだのであったろう。それはおそらく、患者が望むものを看護師は懸命に探っていかなければならないと言うことだった。この体験は彼女の心に下ろし、今でもことあるごとにその患者の白い脚を思い出すと言う。
患者が10人いれば10、10のニーズがある。そしてさらに、1人の患者のニーズは1日の中で何通りにも変化していく。それを汲み取るのが看護師の仕事かもしれない。
どうでしょう??
私は講義の中で、↑引用の「 患者が10人いれば10のニーズがある。そしてさらに、1人の患者のニーズは1日の中で何通りにも変化していく。それを汲み取るのが看護師の仕事かもしれない」という点を強調して生徒さんたちに伝えました。技術や知識というのはもちろん大切ですが、それをすべてに当てはめて考えてしまう危険性は常にもっておいた方が良いと思うからです。これは看護師に限らず、医師、そして我々臨床心理士(公認心理師)にも言えることだと思いますし、もっと言えば、対人援助職、全般に言える事かとも思います。
自戒の念も込めて、改めて日々の臨床に励みたいと思います。
今回も読んで頂き、ありがとうございます。
ではでは。