死を想う・・・

かねこカウンセリングオフィスの金子です。

先日、地元の友人のお母さまが亡くなりました。とても明るく笑顔が素敵な方でした。お通夜に参列し、お焼香を上げた際に、涙が出てきて、「あー悲しいなぁ・・・人が亡くなるのは、寂しいなぁ・・・」としみじみ思いました。

私が心理学に興味を持ったきっかけは、「死」でした。「死」といっても病気や怪我による死や「死にたい」という思いでもなく、「人はいつか死ぬ」、「死んだらどうなるのか?」といった疑問を強く抱くと同時に、「死ぬのはいやだなぁ」と漠然と感じていました。その背景には、祖父母の存在が影響しているのでは、と自己分析しています。

記憶はあいまいですが、思春期に入った(中1くらいだったと思います)辺りに「自分の部屋を持ちたい」と親に頼んだ際に、物理的な問題で祖父母の寝室の横の部屋(部屋と言っても和室を襖で仕切られた空間)が一時の自分の部屋になりました。そこで寝るようになってしばらくたったある朝早く、布団の中で、猛烈に死ぬことへの疑問(いや、恐怖といってもいいかも知れません)を抱いた感覚は今でも覚えています。そして「自分よりもおじいちゃん、おばあちゃんの方がたぶん先に死んじゃうんだろうな・・・」と思うことが増えていきました。そして、思春期真っ只中になった私は、太宰治にはまり、大江健三郎にはまり(もちろん、漫画やアニメ、ゲームもやっていましたが)、どことなく「死」や「人の弱さや醜さ」に興味を抱くようになりました。そして高校生となってからは「死について」といった類の本を読むようになり、哲学、心理学に出会いました。そこから、心理学の道を進んでいったわけです。

話を戻すと、今回友人のお母さまの死をきっかけに、改めて「死」について考えました。「死ぬこと」の反対は「生きていること」だと思います。「死ぬこと」を考えることは「生きること」を考えることにもなると思います。つまり「死ぬ」とは何かを知るためには、「生きる」とは何かを知ることにもなる。けれども、生きている私は、死ぬことがどういうことかはわかりません。では、死ぬことでしか「死」というものはわからないものなのでしょうか??

こうやって考え始めると、いつも私は「なんでだ?なんでだ?」とワクワクしながらも「なんでだ?なんでだ?」とソワソワもします。

で結局、答えが出ない。しかし、答えが出ないという答えでいいのではないか・・・。そのように考え続けることが生きていることなんじゃないか・・・と考えながら、友人のお母さまを偲びつつ、これからもお母さまの分もしっかり生きていきたいと思います。