本の紹介 14

かねこカウンセリングオフィスの金子です。

先日のブログでも書きましたが、学校関係の仕事がスタートして1週間がたとうとしています。先日、ある看護学校の授業で、この本の中のある文章を紹介させて頂きました。いつも通り、引用させて頂きます。

「先生はえらい」、内田樹、ちくまプリマ―新書、2005.

P25 教習所とF1ドライバー

教習所の先生から学ぶのは「卒業検定に合格する水準の運転技術」。免許証をもらえる最低限度の技術がクリアーできること。それが学習目的。

一方、F1ドライバーからは一生忘れられない何かを学んだ。

この両者の違いは何か?

 

内田氏はこう答えます。

 

違うのは、一方からあなたは「定量的な技術」を学び、一方からは「技術は定量的なものではない」ということを学んだということです。

 

このことを、以下のように説明しています。

 

「教習所の先生は「君は他の人と同程度に達した」ということをもって評価する。

プロのドライバーは「君は他の人とどう違うか」ということをもってしか評価しない。

その評価を実施するために、一方の先生は「これでおしまい」という到達点を具体的に指示し、一方の先生は「おしまいということはない」として到達点を消去してみせます。

ふたりの先生の違うところはここです。ここだけです。

 

最後に、内田氏はこうも言っています。

 

「プロの人なら言うことは決まっている。それは「技術に完成はない」と「完璧を逸する仕方において創造性はある」です。この二つが「学ぶ」ということの核心にある事実です。

 

 

いかがでしょうか??

 

もちろん、教習所の先生から、内田氏の言う、「学ぶ」ということの核心を教わることもあると個人的には思います(なぜなら、人によって捉え方や受け取り方は異なりますから…)。

 

私はこの文章を読んで、心理臨床にも通ずるものを感じました。

というのは、このブログでも既述していますが、「人のこころはわからない。けれどもわかろうとする努力は出来る」ということです。

こころに関わる専門家(ざっくりした言い方をすれば「心理カウンセラー」)の中で、「こうすれば、絶対に良くなります」、「人のこころを読めます」といった類の発言をする方は、私は専門家として、どうかと思っています・・・・

なぜなら、「人のこころはわからない」からです。では、なぜ「臨床心理士」や「公認心理師」といった資格を持つの?という疑問が私の中でも出てきました。この疑問に自問自答しながら考えてみると、私なりの答えは、「何らかの専門的職業に就く限り、それらにまつわる知識や方法を知っておかなければ、相手や他者に、不利益を被る可能性が出てくるから」という答えが出てきました(やや正論かとは思いますが・・・)。

このことは医師をはじめ、看護師や薬剤師などと言った、医療従事者にも、あてはまることかと思いますし、広義には、資格が必要とされる職業全般に言える事かと思います。

問題は、資格を取得してから、実際に現場で人と関わる中で、いかに問題や相手が困っていることを解消できるか、が重要となってくると思います。そのために、自己研鑽や研修といったものがあるのでしょう。

それらをやらず、「この人はこういう人だ」、「この人の心理はこういう心理だ」と「わかった」(厳密にはわかったふり)という答えでとなった時点で、専門家ではなくなるのではないでしょうか??

このような思いを看護学生にも伝えたいと思い、紹介した意図もあります。もちろん、私自身にも自戒の念を込めて、今回、ご紹介させて頂いた内田氏の「学ぶことの核心」を目指し続けることの大切さを改めて考える機会となりました。

本日も読んで頂き、ありがとうございました。

では、失礼します。